いつだって自分史上最高!

アラフォー 独身 女 。幸せを求めて日々奮闘中デス

末日

2017年 1月

自分なりに、、



【やったこと】

人と関わった

客観的に自分を見つめた

自分のいい面にも目を向けた

ありのままで生きていいと思うことにした

世間体に惑わされず、自分の感情を受け止めた

生花をたやさなかった



【気づいたこと】

意外に私の周りには人がいる

楽しく会話ができる人がいる

たくさんの人に支えられている

日々の生活にささやかな楽しみが隠れている

私は意外と幸せだ

しかも、もっと良くできる気が不思議とする



色々な気づきをくれた
家族に友人に
その他 私に関わって頂いた方々に
感情デス

ヒトリ

ヒトリでいることは結構好き。

自分で選んで、自分で感じて

自分の道を、自分の足で歩く




人と過ごす時間はとても好き

自分が好きだと思える人達と

グラスを交わし

とりとめのない会話が続く

少し酔いが残る朝にも

幸せの余韻が残る




ヒトリでいることは好きだ

一人では生きていけない

そんな自分をしっているから



ヒトリでいるこの瞬間に

誰かを迎え入れる

そんな勇気ができたことがわかったから

誰かがキミであって欲しい

そう願い夢の中へ

置き傘

【特別な傘】
もう10年近く前になるかな。
きれいな柄の傘を買った。
憂鬱な雨の日も、明るい気持ちになれるように、、。

でも当時の私は、いわゆる tomboy

買ってはみたものの、その傘には不釣り合いな気がして、なかなか手を伸ばせなかった


【その時】

心機一転、新しい職場にうつった。
見知らぬ土地で、新しい生活。

長距離の引っ越しの荷の中に
その傘はしっかり収まっていた

ある雨の朝
久しぶりに傘をさしてみた

憂鬱な月曜の朝も
足取りは軽やかだった

帰りに雨は止んでいた
ロッカールームの出口にちょこんと収まっている
その傘は 景色の一部になったみたいで
何故だか、そのままにしていたくなった


【新しい居場所 新しい役目】

毎朝ロッカールームの入り口で私を迎え入れる

傘は新しい居場所で新しい役目を持った

帰り際に降った雨空
少し躊躇して、、
私が手にするのは、ビニール傘

時に傘は姿を消すようになった
長く置かれたその傘は
誰のものでもない皆の傘になったみたいだった

翌朝もとの位置に戻った傘
きっと急な雨に憂鬱になった誰かの心を
晴れやかにしたかもしれない

そう思うと、何だか嬉しかった


【本当の居場所】

何ヵ月も何ヵ月もたったある日

その日を境に傘は戻らなかった
何日も何日も

1ヶ月ほどたったある日
帰り際、久しぶりにその傘をみた

途端に
とても大事なものを失いかけた気がして

雨でもないその晩
大事に傘をもって帰った

今この瞬間も
私の部屋の玄関には
とてもきれいな傘がある

一時期、誰かの心を少し癒したかもしれない
とても素敵な傘がある

次の雨の朝は
きっと私の気分を上げてくれる



当然のように
側に居てくれる存在がある
時に存在を忘れることすらある

でも、失う前に
しっかり捕まえなきゃいけない
自分で しっかりね

恋 、、そして愛

愛の対象は色々あるけれど、恋の対象はそれほど多くはない

 

恋 と 愛

 

似て非なるもの

 

 

 

【恋】

恋の対象は、多くの場合は異性。

 

多かれ少なかれ、その根底にあるのは自己陶酔

だから、恋は自分本位だ

 

相手に思われて幸せな自分

相手を想って行動する献身的な自分

時に相手に傷つき、悲しみにくれる自分

 

恋には明確な発信者としての自分が必要だ

 

 

 

【愛】

愛の対象は無数にある。

 

恋の対象はもちろんのこと、

       家族、親族、友人、、、

対象は人間に留まらない。

       ペットなどの動物、物、自然、、

 

 

生まれた瞬間から、いやこの世に生まれ落ちる前から、愛はそこにある

愛は受動的で、無意識に生じるものだ

 

愛には愛される明確な対象がある

 

 

【恋? 愛?】

 

愛されたいと思っていた。

愛したいと思っていた。

愛されていると思っていた。

 

そして、それが愛だと思っていた。

 

自分本位で、自己陶酔だった

 

それは間違いなく恋だった

 

 

 

【恋、、、そして愛】

 

私が今一番欲しいもの。

 

それは愛だ

恋の対象になるような異性との愛

 

その相手を愛し

その相手に愛されたい 

そんな幸せが欲しいと思う

 

でも受動的で、無意識に生じる

そんな愛だから、望んで得られるものではない

 

だから、今はとりあえず精一杯生きよう。

 

本当の愛を知らない自分を気づかせてくれた、

とても素敵な愛を知った彼女に感謝デス

 

プレゼント

【ある日の包み】

それは突然届く、小さな包み。

小さな箱の事もあるけど、

大抵は、分厚い封筒。

受け取りやすいようにポストサイズ。

 

またある時は、手渡される紙袋。

新幹線で住みかに帰る私の荷物にならないように

そんな心遣いがみえるような、程よいサイズ。

 

中を開けると、

まるで彼女の声が、耳元できこえてくるような優しい文字の綴られたカード

そして添えられた小さなプレゼント。

自分で飲んで美味しいと思った紅茶のティパックだったり、

教員をしている彼女が子供達と育てて収穫した野菜だったり。

 

日々の色々な出来事に押しつぶされそうになった私に、

思い切り泣いて明日に向かう勇気をくれる。

 

 

【贈り物選び】

私は贈り物を選ぶのが苦手だ。

相手の反応を考えているうちに、何がいいのかわからなくなってしまう。

いらないって思われるんじゃないかなぁ

もらっても困るって思われたらどうしよう、、etc

延々と続く、ネガティヴループ。

 

『喜んで欲しいなぁ』は、『喜ばれないと嫌だなぁ』の裏返しなんだと気づいたのは

何度めかの、彼女の包みを受け取った、ある日のこと。

 

私が、大事な相手に、今一番送りたいのは、ココロなんだ。

ココロに値段をつけて、物に変えようとするから、難しくなるんだ。

 

 

【贈ル物】

イベント毎の贈り物、お付き合いとしての贈り物、、、

社会生活を送る上での、礼儀としての贈り物がある。

多少なりとも、give&takeが見え隠れしていて、ややこしいし、チョット面倒くさい。

でもそこはオトナとして、気持ちに値段をつけて、潔く物に変えてしまおう。

 

でも、普段の生活の中で、旅先で、

美味しいお菓子を食べた時、可愛い雑貨を手にした時、いい香りのサシェを見つけた時、

不意に大事な誰かの顔が浮かんだなら、迷わずそれらを手に入れよう。

 

いくつかのの物が詰まった小さな包みには、その時々のココロが間違いなく宿っている。

そんなココロを優しく受けとってくれる人が、私の周りにいてくれる事に感謝しよう。

 

 

 

 

 

冬眠

お題「冬の朝」

 

【氷の手】

 

私の手は、とにかく冷たい。

 

不意に私の手に触れた相手は、大抵一瞬動きが止まる。

 

いわゆる冷え性なのだと思う。

 

ちなみに、私は血圧もかなり低い。

 

冬の朝は、暖まるまでなかなか動けない。

 

まるで変温動物だ。

 

 

【エコな体】

 

夏。暑い暑い夏。

 

クーラーでキンキンに冷えた屋内で、やっぱ私の手は冷たい。

 

少なくとも日本に住んでいる限り、クーラーは私の生活に必須ではない。

 

もちろん暑いし、汗も出る(周りに比べると、圧倒的に少ないが、、)。

 

でも冷たい飲み物を飲んだり、アイスを食べれば、結構過ごせる。

 

大好きなスイカを食べ過ぎると、寒くて1枚羽織りたくなる。

 

地球に優しい体なのかも。

 

 

 【温かい手】

 

温かい手はとても好きだ。

 

例えば、年に数回、帰る度にぎゅっと包み込んでくれる手。

 

いい年の私を、小さな女の子のようにぎゅっと抱きしめ、ほっぺにキスをする。

 

生粋の日本人のはずなのだが、私の半分の親族は、言うならばラテン系だ。

 

よく笑い、身体いっぱいで、感情を、愛情をしめす。

 

 

小さい頃は、それがとても照れ臭かった。

 

思春期の頃は、嫌悪感すら感じた。

 

 

でも今は、とても心地よい。

 

冷たい手の私の、半分にその血が流れているのだから、

 

きっと私も大事な誰かを、温かい心でぎゅっと抱きしめられるに違いない。

 

たとえ、冬眠したくなるような冬の朝でも。

 

 

 

 

パーソナルスペース

【ジンチ】

 

パーソナルスペース(英:personal-space):

     他人に近付かれると不快に感じる空間のことで、パーソナルエリアとも呼ばれる。(中略)

     一般に、親密な相手ほどパーソナルスペースは狭く(ある程度近付いても不快さを感じない)、

     逆に敵視している相手に対しては広い。by Wikipeda

 

 

多分私のパーソナルスペースは、極端に広くて、極端に狭い。

誰もが皆、子どもの頃はそうなのだろうと思う。

そして、社会生活の中で、少しずつ加減できるようになるのだ。

 

バリケードや、三角コーンや、ロープや、、

色々上手に使い分けて、自分の陣地を作って行くのだ。

 

どういうわけか、私は、うまくそれが出来ないままだった。

 

 

【気づき】

 

中学高校の6年間。親元を離れ寮生活をしたことがある。。

大部分が見ず知らずの相手と、ある日を境に何から何まで生活を共有するのことになった。

それこそ、家族以上に。

 

何がキッカケだったのか、全く思い出せないのだけれど、

ある日、その中の1人から言われた。

『ちょっと仲良くしたからって、いつも一緒にいるわけじゃ無いんだからね』

多分そんな言葉だったと思う。

 

当時の私は、ドキドキしながらも、自分なりに頑張って新しい友に歩み寄ったに違いない。

突然突きつけられた、鋭い言葉に、

驚きと恥ずかしさが入り混じり、激しく動揺した事だけは強烈に覚えている。

 

思春期の女の子達だ。

その中に、確たるコミュニティーは出来上がっていく。

 

彼女に悪気は無かった。

(ずっと後になって、お酒の場でその話をしてみたが、彼女は全く覚えていなかったから、、)

多分、彼女のパーソナルエリアに踏み込んだ私に、

彼女なりに、未熟な防御線を張ろうとしたのだろう。

 

でも私は、その瞬間、『見えないジンチ』を初めて感じたのだった。

 

 

【私のジンチ】

 

他の友人から、同じような事を言われた事はない。

例の彼女も、翌日にはケロッとして、一緒に食事をしていたように思う。

 

でも私はなかなかあの瞬間から抜け出せ無かった。

 

恐る恐る近づいては見る。

ちょっとでも違和感を感じると、

遠く離れたところに、弱々しいバリケードを何重にも何重にも置いた。

それ以上組み替えることもなく、ずっとそのままで。

 

入り込んでくる相手に、あまり歯向かうことはしない。

でも自分から踏み出すこともしない。

でもたまに、本当にたまに、踏み出してみると、

とてもに穏やかに受け入れられたと感じる事がある。

それまでに、それこそ何ヶ月mの月日がたっていたりする。

 

 

【ジンチの中】

 

 一旦受け入れた相手は、かけがえのない存在に感じた。

時に、自分の事と同じくらいに相手の状況を思い、悩んで、動けなくなった。

 

でも不意に、幼い頃の記憶がよみがえる。

あの恐怖にも似た思いが。

 

そして、そっと薄いカーテンを、相手との間に置くのだ。

 

入り過ぎてはいけないし、

これ以上入れてはいけない。

そうしないと、大事な存在を失ってしまう。

 

そうやって、極端に狭くなりそうなジンチをそっと広げるのだ。

 

皆そうやって自分のジンチを守っているのか、

もしかすると、私だけなのかもしれない。

そんなジンチを感じさせない相手と、家族になれるといいのかもしれない、、

なんて思う。